私の生い立ち【小学生】

前回までは私の生い立ちとして出生~幼少期を綴った。
今回は小学生くらいから高校くらいまでを綴っていこうと思う。

私が通っていた小学校は小高い坂の上にあり、家から徒歩5分以内の場所にあった。
そして近いやつほど遅れがちの法則にまんまとハマっていた笑

通信簿には、「いつも落ち着きがありません」と書かれていたことを覚えているが、その心当たりがまったくない笑 小学生らしさの範囲ではしゃいぐことはあっただろうが、そこまでやばかったのだろうか。。
2年生くらいの時に好きな子ができて、しょっちゅう家に遊びに行き、「体お触りごっこ」をしていた。
その年から、「今日は生で・・・」とか言いながらお互いお腹とかを触って遊んでいた。
すでにムラムラしていたのか・・・笑

友達関係では、基本的に同性と遊ぶのがメインで、大人数で遊ぶというよりは2人で遊ぶことを好んで、割とこちらから誘うことが多かった。家を訪ねたり、家電をかけて誘い出したりして適当に公園に行ったりその友達の家でゲームをしたりした。
その時々にマイブームがあり、同じ友達と連続して遊ぶこともあったが、割とその時の気分によって誘う子を選んでいて、ずっと固定化された友達というのはあまりいなかった気がする。

4年生の時に友達からの誘いで少年野球に入った。実はもともと左利きだったとのことだが、不便が多いということで箸や鉛筆は右に直されたようだ。たしかに今でも左手を使ったほうがやりやすいこともあり、その名残はある。
そして野球に関しても右投げ右打ちを親父に指導された。
しかし、バットだけはどうしても右打ちを嫌がり、親父が不機嫌になっているのをわかりながらも左打ちをやめなかったみたいで、それから「右投げ左打ち」という、プロ選手のような感じになった。
が、運動神経がなく野球のうまさも鳴かず飛ばずで、下級生の子にレギュラーを奪われ、試合でも最後の1打席だけお情けで出してもらうくらい下手だった笑
それくらいから普段休みの日に遊ぶのもこの野球チームのメンバーとの遊びが中心となった。
その友達の家に泊まりに行ったり、外食について行ったり、チームの監督と海釣りに行ったりとしていたので、裏では母がいつも頭を下げていたに違いない。

4,5年生くらいの時に「いじめ」が自分が所属?していたメンバーの中で流行した。
焚きつけるやつがいたはずなのだが、気が付いたらいじめられるやつがいて、自分はいじめる側になり、はっきりとは覚えていないが、積極的にいじめるとそのメンバーから功績が与えられるような雰囲気もあった気がする。
いじめの方法はそこまで陰湿ではなく、無視したり(でもこれが一番残酷なんよな)そいつのあることないことを女子や関係のない人達に吹聴したり、とにかく罵声を浴びせたりといった具体だ。
そしていじめられる対象はその焚きつけるやつの気分で変わった。だから昨日までいじめられていたやつがいじめる側になり、その逆が起こる。 当然いじめられていたやつは、昨日まで自分をいじめていたやつと仲間みたいになるのだから、今考えたらよくお互い人間不信にならなかったと思う笑

そして自分がいじめられる番がきた。まあまあへこんだ記憶はあるのだが、正直無視された以外、何をされたかも覚えていないし、普通どおり過ごしていたらそれも終わっていた。
だが、いじめられて辛いという気持ちは親にも絶対言えなかった。
そして自分をいじめる連中と縁を切りたいという感覚は決してなく、やはり「何かに所属していたい、つながっていたい」というのは本能的にあるんだなと思う。

いじめとその精神状態について自分が思うことを書くと、まず小学校~高校の学生というには、基本的には家と学校が「自分が生きている全世界」という感覚で生きていると思う。
だから、家庭か学校のどちらかにおいて、無視されたり自分の存在を否定されるようなことが起こると、「自分の居場所がない」という思考になり、家庭でそれが起こると家出をしたり非行的集団と関わり、家に帰らないようになるし(家に居場所がないから)、学校で起こると不登校や引きこもりということになるんだと思う。(学校に居場所がないから)
そして、家庭と学校、その両方でそれが起こった時に、「この世界そのものに自分が居ていい場所がない」という思考になるので、結果として自殺以外の選択肢がなくなってしまうんじゃないかと思う。

いじめというのは、集団生活をする人間社会において、ある意味で自然発生するものだと思うし、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%88%86
いじめる奴というのは、おそらく自分の何らかの欲求を満たす目的があってやっているので、その目的が消えない以上、いじめることができそうな人間さえ見つかれば必ずいじめが起こる。
いじめる奴が悪いのは間違いない。でも、いじめられる奴も、そいつに何らかの理由で対象者として選ばれている。
だからこそ、伝えたいのは、いじめられている人に対しては、
「あなたの世界は本当にそこだけか?まだまだ行ったことがない世界がたくさんあるんじゃないか?もしくは自分が世界として認識していないだけでうんと身近なところに自分が居てもよい場所があるんじゃないか?」ということ。
もっというと、「あなたが居てダメな世界なんてない。居ちゃダメとか言っているやつも、あなたの権利を奪う資格を持っていない。(そういう契約とかの話だったら別ね笑)
だから大切なのは・・・

あなたが選ぶこと。

あの人がああ言うから自分は・・・とかは、その人の価値観で自分の気持ちや行動を決めていることであり、自分の価値観で選んでいない。おそらくその、ろくでもない人間に自分の行動を決められているし、依存していることにもなること。
自分の人生ではなくそのろくでもない人間の人生を生きてしまっているということをまずは疑ってみてほしい。
自分が居たかったらなんて言われようが居ればいいし、居たくなければ違う世界に自分の心地よい居場所を見つければいい。
そして、本当に死ぬことが一番良いと判断したら・・・本当に・冷静な中で(ここ重要!)自分が選んだのなら、そうすればいいと思う。
この考え方は、この本から教わったので、割と有名な本だがまだの方はぜひ読んでほしい。
https://books.rakuten.co.jp/rb/12570589/?variantId=12570589
続編もあるよ笑
https://books.rakuten.co.jp/rb/13604272/?l-id=search-c-item-img-01

私の場合は、おそらく無意識に日常を変えないようにしていた気がする。
そして、いじめてくる奴にも普通に話しかけていたし、相手にされなかったらそれまで、くらいの気持ちで普通に過ごしていたと思う。

まあこんな感じで小学生生活を過ごしていた私。好きな女の子は何人か入れ替わり発生したが、まったく持てなかった私についにモテ期が訪れる・・・
次回も是非読んでください!

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