私の生い立ち【小学校いじめる側編】

小学校では落ち着きがなく、その日の気分で遊ぶ友達を選び、いろんな女の子に恋をし、いじめも味わった。
次は中学時代編を書いていこうと思ったが、小学生時代はいじめるほうもやってしまっていたので、本記事ではそれを中心に書いていく。


小学5年生ではいつもつるんでいた5,6人のグループに属していており、その中心的な1人の気まぐれでいじめられる人間がぐるぐると回っていた。
自分もいじめられたのだが、当然ほかのメンバーがいじめられる時があり、その時は自分もいじめる側になった。といっても、本当にその子を傷つけたくてやっていたのではなく、同じグループの子と合わせる形だった。そうしないと自分がいじめられてしまう想像がついたからだ。
おそらく集団いじめ(いじめは大体集団でやるからいじめなんだけどね)の大半はこの構図だと思う。
いじめの内容は前述したとおりだが基本的には無視・仲間外れだ。

はじめは自分を守ることが動機でいじめに参加していた。でもそれを続けるうちに、自分の心境に変化が起こった。
いじめられる側も傷つくし、これ以上傷つきたくないし、何より無視されたりする理由がなく理不尽な感覚に襲われる。そうすると、その子自身の言動が普段度見せるものと大きく変わり、いじめられていない時とは別人に見えるような違和感をおぼえだす。
その子からは、当然だが「悲しみ」「怒り」といった感情を土台に、自分自身の精神を守ろうとする意識が働き、目つきが悪くなり、負のオーラなどが感じられる。
変貌する姿を見て、私自身は「うわぁ、こんな子とかかわらないほうがいいな」と嫌悪感に近い感覚でその子を見るようになっていったのだ。
そうなると、当初は周囲に合わせるようにやっていたのに、もっと傷つけようという気持ちを乗せていじめをやるようになってしまった気がする。
また、その子を傷つけようとすると、中心人物などから「よくやった」というような賞賛をもらえる気もした。
そのような心境の変化があり、積極的にいじめてしまうこともあったと思う。

自分がいじめられないようにという「自己防衛」からスタートし、いじめられている人の普段とは違う姿を見て「本当にこいつはいじめられて当然なやつだったんだ」という見方に変わり、「おれもやってやろう。そして仲間からすごいと思われ、自分のグループ内階級を上げてやろう」という心理が芽生える。これがおそらくほとんどのいじめの正体だろう。

前述したと思うが、いじめられる人間は、誰かをいじめてやろうという人間がいる限り必ず生まれる。必ずだ。 ただ、いじめる人間の目的は自分の存在価値を認めさせたいという気持ちだったり、誰かを支配して気持ちよくなりたいという動機なので、いじめる理由さえ自分で無理やりにでも見いだせればいじめる対象は正直誰でもいいのだ。

これを通して私が感じるのは、「自分最優先」と「自分を大切にする」の違いを知ることが大事だってこと。
もちろん自分が一番大切だと思う。でも、他人を傷つけたり他人に不利益を与えてまで自分の立場を守りたい・もしくは向上させたいっていうのは、そもそも自分を大切にできていないのだ。
自分を大切にするというのは、自分が人として正しく生きているという実感が持てること。
正しく生きていると実感できていれば、それだけで自分の人生に不満が起こらないし、人を傷つけようと思わないし、自分の立場にとらわれる必要がない。
人として正しく生きていると実感できていれば、それだけで満足した自分でいられる
自分の立場を守る・上げるという努力そのものが自分の人生を豊かにするということにおいて何の意味も持たないのだ。
無意味なことなのに一生懸命人を傷つける。それも誰かのためではなく自分のため・・・。
そんな姿は本当に醜い。。。あなたはそんな自分や人生に価値があると思いますか?

そして、残念ながらいじめられるほうや傍観者にもこれが当てはまることがよくある。
自分が(これ以上)いじめられないように防御線を張る行為(負のオーラ全開・目つきが悪くなる、家族や自分より弱い立場に強く当たるなど、周囲にマイナス影響を与える行為)や傷ついている人がいるのにも声もかけてやらないこと(わかっていて何もしないという行為)もまた、自分の立場を優先するために周囲にマイナスの影響を与えるという意味ではいじめっ子とあまり変わらなかったりする。。。

だから、「自分を優先する」よりも「自分を大切にする」ことに意識を向けてほしいということ。

いじめという行為自体は、特に昔ながらの日本人の性質としてあって自然だと思うし、なくなりはしないと思う。
でも、いじめるためやいじめられないようにするために「がんばる」労力は、本当の意味で満たされた自分の人生のためにとっておいたほうがいい。
それは、誰かに喜んでもらうことや誰かのお役に立つことを自分からするという行為。いじめをするなんかよりおどろくほど簡単で大きな満足感や快感が得られてしまうだろう。
他人に構っている余裕はない、という人が多いと思うので、これは立派な努力といえるだろう。

また、いじめられている(いた)側の人には、いじめられている(いた)という事実に、あなたの価値を左右する影響は全くないということだけ断言しておく。
あなたに価値がないからいじめられているのではない。いじめやすい理由が見つけられてしまっただけだ。それだけあなたは周囲に影響を与えられるすごい人である可能性があるってことだ。
今すぐいじめを止めることはできないし、いじめられていたという事実は消えないが、そのいじめということ自体に、何の意味もないっていうことを頭でだけでも理解してほしい。
どれだけひどいことを言われようが、相手の目的は自分が中毒的に気持ちよくなるためだけに行っているものであり、その内容とあなたの本質は全く関係がない。
精神が不安定に揺らいでしまう分だけ、あなた本来の価値観ではなくいじめっ子の価値観で日々を生きることになってしまうので非常にもったいない。
いじめという実際に起こっている現象がすぐに終わることはないが、あなたがそれをどう捉えるかはあなたの自由だ。相手はあなた本来の価値に対して何の関係もない不当な言いがかりをつけながら、一生懸命傷つけるように誘導してくるので、できるだけその誘いに乗らないように。

このあたりのことを、「奴隷」という究極的な立場からわかりやすく教えてくれる本を紹介する。
奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 この生きづらい世の中で「よく生きる」ために
https://books.rakuten.co.jp/rb/16029742/?scid=we_bks_genre_all_pla-all-shopping_20230919&gad_source=1&gclid=CjwKCAjw9cCyBhBzEiwAJTUWNbO4ruUl_lzvvSTI9BAnYpQc3sS1jdyJTESSBxrDVgOKVLWBs81dFxoCL3gQAvD_BwE
絵が中心なので誰でも読みやすい!

他人や環境にコントロールされない、あなた本来の生き方ができますように、心から祈ります。
↑これはいじめられている人だけでなく全ての人に届けたい言葉。

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