私の生い立ち【中学校編②】

独立に向けてやることや、実家に帰省したりしていたこともあり前回の記事からだいぶ間が空いてしまった。
さて、前回の中学校編の続きである。
中学2年生の時に今考えても最大のモテ期を迎えながらも異性とは怖くて交われず、気のしれた男友達とじゃれあったり、放課後は所属していたバスケ部の練習をしていたのが中学生活の基本的な日々だった。
家庭はというと、姉が9つ、兄が7つも年が離れているためこのころにはすでに姉も兄も就職しているかというときだった。父は不動産管理業をしていたようだが基本的には家の近くの事務所に少し顔を出し、昼には昼寝をしに帰宅し、夜はリビングでタバコを吸ってビールを飲み、母をこき使っていた。
母は化粧品のマルチ(聞こえは悪いが全くの合法)の仕事に情熱を燃やしながら家庭のことや親父の対応もしっかりとこなし、さらには祖母の介護までやっていた。
それが当たり前だと感じていたのか、もしくは手伝いたくないから関心を持たなかったのか…
今考えれば母は本当に人に尽くす人生を早くから生きていた気がする。(ちなみに化粧品の仕事も販売というよりは人のお世話が大切な業務だった)
自分の人生を思い出して綴っているブログなのに、母のことをしっかり思い出すとやっぱり反省と後悔が強く残る。

中2のころ、苦も無く当たり前に続けていたバスケ部の活動だが、悪友の誘いに乗ってしまい、バスケ部を退部。動機は「自由な時間が爆発的に増える!」ということがイメージできたから。
この「イメージ」というのが人生を大きく左右するくらい、とても大切なものだと後になって知ることになる。

バスケ部を辞めてからは、ちょっと悪い友人たちとよく遊ぶようになるが、それとは別に林くん(仮名)という子ととても仲良くなり、親友といえるほど共有する時間も多くなった。
それから私と林君は同じ女の子を好きになり、気まずくならないライバル関係になったのだが、林君のイケメンぶりが半端ではなく、さらに独特なミステリアスなオーラもまとっており、大敗。
そのあと林君とその子が無事?結ばれてその後林君は中3にして男の子からオトコになった笑
それはそれはショックだったなあ。。

中3では受験という2文字が私たち生徒に付きまとうようになり、みんな塾に行ったりそれなりに学校の授業以外でも勉強するようになる。私は母から毎日のように勉強しろと言われていたが、毎日のように勉強しない日々を過ごしていた。父親が暴力を伴いながら私の勉強を見てくれていたが、全然楽しくないし、上から目線で来られるのが気に食わず、反抗しては殴られるということも珍しくなかった。
とにかく勉強しなかった。
でも、突然毎日勉強に夢中になってしまう日が来てしまうことになる。
それはまた次の記事で。。

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